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徒然なるままに公務員試験
  最終更新日
要旨 公務員試験を中心として日々の生活の「をかし」を分析しては自己主張 しちゃってるブログです。 「へ〜こんなやつもいるんだな〜」って感じのコンセプトを持ってご賞味下さい。
ウェブマスター
カテゴリ
作成
言語 ja
ブログ閉鎖のお知らせ
公開:
要旨:

2013年8月末日をもって弊ブログを閉鎖します。


現状は把握していませんが、多くの公務員試験が8月末日までに最終合格発表があると思います。


それまでは弊ブログの内容が少しでも参考になっていただければこれに勝る喜びはありません。


今まで御覧いただいた方一人一人に厚く御礼申し上げます。


では、あなたの幸の多からんことを。

不合理な差別と合理的な差別
公開:
要旨:

自分は勤務する自治体をほとんど信頼しておらず、身を粉にして働くという感情なんて既に微塵もありませんが、一つだけ買っているところがあります。それは「不合理な差別」がない(orほとんどない)というところです。


何を持って「不合理な差別」とするかは当然、その業界やその組織に拠るので一概には判断できませんが、例えば、自分が以前勤めていた金融機関では、男女差別や学歴差別や親の職業差別等が明白にありました。


そこでは、女性の総合職を一切採用しておらず(採用試験は受けること自体はできるが絶対に総合職では採用しない。同様に男性の一般職も絶対に採用しない)、学歴が高い人は基幹部署に配属(何を持って「高い」とするかは主観以外の何物ではない)され、出世までの道程が全然異なったり、片親の人は採用せず、親の職業が金融機関の勤務経験がある人は出世が早い、と言った、合理的な根拠を有するとは到底言えない差別が多々見受けられました。


一方で、自分が6年弱勤務する過程においてそのような差別を見た(感じた)ことはほとんどありません。


例えば、いわゆる「幹部」と呼ばれる人で高学歴どころか大卒でない人も多々います。男性職員に比して女性職員は少ないにもかかわらず、女性の幹部も多々います。最初の配属先がいわゆる基幹部署であったとしても「使えないやつ」と判断されると、早ければ半年ほどで他部署に異動になったりします。親の職業どころか、親戚に公務員は一人もいないと言う人が圧倒的に多いです。


これらの状況を鑑みると、自分の働く自治体では「不合理な差別」がなさそうだ(orほとんどなさそうだ)」ということと「実力主義が浸透しているな」という心証を形成しています。


仮に自分が他者から「働いている自治体の良いところはどこですか?」と聞かれたら「不合理な差別」がないと思える(orほとんどないと思える)ところです」と答えると思います。


上述はあくまで他者の状況ですが、自分自身のことでも実感しているとこともあります。


一例では、自分の勤務する自治体では所属長がその所属する職員の成績評価をするというものがあります。この成績は本人に定期的に開示され、当該職員への単なる意識高揚等の材料にとどまらず、期末勤勉手当(いわゆるボーナス)の支給額にもかなり大きく影響してきます。


そのため、この成績に不満のある場合は、第三者に不服申し立てができるとことになっています。


自分もこの成績を現在の所属長から数回もらっていますが、その成績を見る限り、おそらく所属内でトップクラスの成績ではないかと思います。


他の職員全ての成績を知っているわけではありませんが、この成績の算定方法が絶対評価ではなく、相対評価(らしい)ので、自分の成績を見ればどのあたりの序列にいるのかがわかります。


無論、「どうだ!!俺は優秀なんだぜ!スゲーだろ!?」などどいう戯言をこのブログにおいて述べる気は微塵もありません。


肝心なのは、この成績評価に所属長の主観が入っていない(推定)ということです。


自分は「2010年4月 話せばわかるは本当に大嘘 」で述べさせていただいたように、職場で存在している親睦会に加入していません。正確には、以前は加入していたものの、5000円弱/1ヶ月の強制的な徴収の不合理さや費用対効果に嫌気がさして脱退をしたものです(ちなみに、職場で加入していないのは自分だけです)。


また、自分の勤務する自治体では、時差出席制度を導入しており、早い人では7時に、遅い人では10時を勤務開始時間とすることができます。


この制度の利用にあたっては所属長への申請が必要ですが、所属長はその申請者にその制度を適用することにより明白に業務に支障をきたすと認められる場合でなければ申請を拒否できず、事実上のフリーパスになっています。


自分はこの制度を利用し7時から勤務開始をしているため勤務終了は15時45分になっています。そうすると、所属長が勤務終了後以降に何か自分の担当業務で疑問に思ったとしても、その解決は必然的に明日に繰り越しになってしまうことになります。


さらに、自分は前任者からの引き継いだ業務の中で不要と思われる業務や不要な会議等を切り捨てまくったため(当然所属長の承認を得ています)、業務量自体が前任者に比して激減しています。


そのため、残業をする必要性がほとんどなくなり、去年の4月から毎月の残業時間は2時間程度/1ヶ月であるため、16時には職場に存在しないということが常態化しています。


これについて、100時間以上/1ヶ月の残業をしている他の職員から「SINはの仕事量はおかしい」、「SINは怠けすぎだ」、「SINの残業の割り当て分を俺に寄こせ」等の意見(苦情)が所属長等に寄せられているらしいです。


以上の中で「親睦会の脱退」は所属長からも直接指摘(叱責)されたことがあり、「時差出勤制度の利用」についても所属長は不快に思っているということを他の職員から聞いたこともあります(業務量を激減させて残業をしていないことは評価は悪くないらしいですが)。


比較対象としては適切ではないかもしれませんが、少なくとも、自分の勤務していた金融機関では「親睦会の不出席」や、勤務終了後の「任意という名の強制的な金融勉強会の不出席」は左遷街道への道しるべになっていました。


こんな所属長から見ても「ありえない」自分ですから、成績評価における成績は劣悪になってもおかしくはないと思います。


にもかかわらず、私情を排して職員を評価するという姿勢は所属長の職務中立性、ひいては「不合理な差別」や「不平等」の排除という組織の姿勢が一定以上担保されている証左ではないかと思っています。


自分の知る限り、ほかの所属においても概ねこのような所属長が多いらいいです。この「不合理な差別」を排除するという姿勢は自分が今の自治体に勤務し続けるおそらく唯一の誘因となっています。



では、あなたの幸の多からんことを。

会議という名の自己満足
公開:
要旨:

11月の前半のある日、自分の勤務地から3時間半ほど時間をかけてある会議に出席してきました。その会議は自分の勤務する自治体を含めて20自治体程度が参加を予定されている比較的大きいと思われる会議です。


自分の勤務する自治体は貧乏自治体なので、交通手段として新幹線で行くことが可能でも、新幹線代が支給されず、普通電車で行ける場合は最安の交通手段で会議会場に行くように厳命されます。


それ自体はさほど不満はありません(電車の中で時間を過ごす術はいくらでも持っているため)」。冒頭の会議では、会議時間として2時間程度が想定されていました。つまり、


・ 移動時間: 3時間半×2(往復)=7時間

・ 会議時間: 2時間


となります。


算数学的に単純には割り切ることはできませんが、7時間かけて2時間の会議に出席する以上、実り多き時間になってほしいと思うのは自然でしょう。


しかし、自分がその会議に出席したあとの率直な感想は、


「( ´, _ゝ`)バカジャネーノ」


というものです。


辞書的な意味は別として、「会議」とは「関係者が集まって相談をし、意思決定をすること」と考えています。


ところが、今回の会議では、


・ 会議に使用する資料は会議の10日前ぐらいに事前に電子メールですべて配布されている

・ 会議では事前に配布された資料を各自治体の出席者が資料どおりに読み上げるだけ

・ 読み上げる時間以外、出席者の発言時間は「全部で」15分/2時間ぐらい


というものです。そのため、もはや「会議」の体裁をなしていません。


単純な疑問として、


「この会議ってわざわざ時間かけて一堂に会する意味はなんかあるの!?」


というものです。上記の読み上げる以外の時間とは、自治体の出席者が資料内容に関して疑問のある場合、その資料を作成した自治体の出席者が疑問に回答するというものです。


しかし、そんなことは電話か電子メールで行うことが十分に可能と思います。電話か電子メールで行うことにすれば、


・ 経済的コスト(資料印刷代、会議会場代、交通費代 等)

・ 労務的コスト(会場に行く手間、資料を印刷する手間 等)


が削減することが可能になります。


自分は仕事でもプライベートでも


「無駄なものは捨てる、無駄な人は捨てる」


を思想・信条・行動規範の一つとしています。自分の担当業務でも前任者から引き継ぎを受けた以降、「これ何か必要性があるのか?」と思い、いろんな業務の削減を上司に提案したことがあります。


しかし、中には理解を示してくれる人もいましたが、多くの上司は


「一度廃止したらもう復活ができないしさー」

「昔からやっているから大事でしょー」


などど「見当違いの反応をする人」が多々いました。「二度と復活できない」ということや「昔からやっている」と「必要性」というのは全く別の次元の観念です。


どんなに古くても「必要性」がなければ維持はしないべきだし、どんなに新しくてもまた然りです。


恰好つけて言えば、公務員が業務を行うためには税金が原資なのは言うまでもありませんが、その原資は国民(住民)が必死で働いた血税であることはもとより、その血税を預かる公務員は、一秒足りとも「必要性」を忘れてはならないし、忘れることは国民(住民)への背信行為にほかなりません。


冒頭とは別の会議ですが、自分の勤務する自治体を含めた10自治体が加入している会議があります。冒頭の会議は会費は無料ですが、この会議は結構高い会費(主観)を支払っています。


ただ、その会議も冒頭の会議と同様、単なる「朗読会(資料を読み上げるだけの時間)」になっており、珍しく上司の賛同を得たため、平成23年度末をもって自分の勤務する自治体が会議からの退会する旨を表明したところ、


・ 「この会議は20年以上も開催している伝統のある会議なのに退会するとは何事か!?」

・ 「今までやってきたのに退会をすると今まで加入してきた説明ができないだろ!?」

・ 「そちら(自分の勤務する自治体)が退会すると、うちが予算取るに説明に窮することになるだろ!?」

・ 「最初から会議に加入していた自治体なのに退会するとは問題だろ!?」


などど見当違いのことを他の自治体から指摘(非難)されるありさまです。結局、「会議」に参加していること自体を「一つの目的」と勘違いし、自己満足に帰趨しているものと思われます。


「会議」というのは一つの「手段」であって「目的」とは異なります。しかし、両者を意識的・無意識的に混同、無視する輩は非常に多いと思います。


自分は幼少期は、


「社会人(大人)の多くは論理で動いているんだろな」


と今思えば浅はかな考えを持っていましたが、むしろ、


「論理で動いている社会人(大人)ってどこにいるの?」


と思うこと限りなしです。しかも、比較的論理で動くことが期待されている「役所」にもかかわらずです(笑)。


ではあなたの幸を多からんことを。

役所は言葉がすべて
公開:
要旨:

「直ちに影響はない」


現在日本が直面している3月11日に発生した「国難」から早や三週間が経ちました。自分はテレビを全く見ない生活(そもそも自宅にテレビがない)ので、情報源は主にネットからになりますが、その情報に鑑みると、「地震」→「放射能(原発)」に危機がシフトしてきているように感じます。


そんな中、地震直後から冒頭のように枝野官房長官が繰り返し述べる場面があった模様です。冒頭のように人々が聞いたら、どのような見解を持つのか自分には想像しかできませんが、


「そっか、とりあえず大丈夫だな」

「これは、まずい。やばそうだぞ」


に大別されるでしょう。ちなみに、自分は地震直後から後者のような見解を持っていました。


役所に限らず、どこの組織でも同様であると推察するのですが、組織の上部の人間は挨拶文ひとつとっても、自分では考えません。自分の働く役所の場合は、特に、記者会見等の対外的な場面に臨む場合には、挨拶文や発言内容、口述書、想定問答等を作成させられ、何人もが詳細にチェックを行います。


無論、誤った情報を国民(住民)に提供しないということは非常に重要な目的であるため、何人もチェックをすることで危険を防止(軽減)するということは意義があるとは言うまでもありません。


しかし、実は役所にとって「誤った情報を与えない」ことよりも「責任を取りたくない(取らされたくない)」ことに至上価値を置いていることを忘れてはなりません。


その点からも、役所では言葉一つとっても、その使用方法に非常に慎重になります。詳しい説明は割愛させていただきますが、例えば、役所で使用される「速やかに」、「遅滞なく」、「直ちに」はすべて意味が異なります。これらの使い分けができなければ幹部や首長クラスの答弁書の起案(稟議書の作成)をしたとしても途中で手直しさされるのは目に見えています。


以上を踏まえれば、冒頭のように枝野官房長官が「直ちに」という文言を用いた理由が読み取れるかと思います。仮に、本当に影響がない放射能のレベルなのであれば「影響はない」と発言すべきであって、「直ちに」という副詞をつける合理性はありません。


しかし、それにもかかわらず、敢えて「直ちに」という文言を用いたのは、国民の混乱を少しでも防止(軽減する)したいとう意図もあるのも、もちろん事実でしょうが、後日、発言内容を糾弾されてとしても、「直ちに影響はないと発言をしただけで、今後ずっと影響がないとは言っていない」と答弁すると推定されるため、その糾弾は失当となります。


確かに、「3日以内に雨は降らない」という文と「雨は降らない(=今後ずっと雨は降らない)」という文では、その意味に差があると考えます。


このように、役所はでは、極力責任をとらない(取らされない)ようにするための言葉が数多く使用されています。


下記は自分が目にする(耳にする)ことの多い、極力責任をとらない(取らされない)ようにする言葉を列挙したものです。平成23年4月1日を迎え、新たに役所に入った方や、今後役所に入りたいと考えている方の一助になればと考えます。


‥(とう)

もともとの使用の想定は、「A、B、C・・・・、Z」とたくさんある場合、すべて記載することは合理性がないので、それらを総括したい場合に用います。


無論、上記「A、B、C・・・・、Z」のようにちゃんと想定されている場合であれば、「等」を用いること自体に問題はないと考えます。ところか、困ったことに、ちゃんと想定していないのに「等」をむやみやたらに使う輩のいかに多いこと。自分が他部署に「この法令の『等』ってどんなケースを想定しているんですか?」と聞いても、「これから考えます。」と言われることも多々あります。


要は、後日、現在の規定では対応できないケースが発生したとき、「そのケースは『等』に入っています。」という隠れ蓑になり、責任逃れができます。


検討しますor検討せよ(けんとうしますorけんとうせよ)

1 国民(住民)等から求められたときの対応するとき

2 幹部が下位者にごり押しを指示したいが、表だって言えないとき


1については、国民(住民)等から無理難題をふっかけられたとき、むげに断ると紛争が起こりそう(議員や政治団体からの要求は特に)なときに使用します。議員や政治団体も単に「断られた」と支持者(支持団体)に報告するよりも、譬え望むような結果にならなくとも、「検討させた」としたほうが格好がつく(らしい)です。


2については、個人的には自分は目にする(耳にする)ことが大変多い使用例です。行政実務を行っていると、「役所内の真の癌は実は役所の幹部じゃないか?」と思わざるを得ない場面に多々遭遇します。幹部からの指示で行政実務を行うとき、法令上、どう考えても違反するケース等、対応が困難な事例にあたることがあります。


しかし、その旨を幹部に伝えても、「いや、もっと検討せよ」と繰り返し指示し、暗に「法令違反を認めろ(or見逃せ)」と言ってくることがあります。当然、後日、問題が発生したとき、当該幹部は「検討せよと指示したが、法令違反は認めろ(見逃せ)とは指示していない」と責任逃れをすることができます。


で聴していない(はあくしていない)

国民(住民)、他の役所、他部署等から事例の有無の確認を求めれた際、「該当ありません」と回答するのは役所(少なくとも自分の働く役所)では、赤点です。


もし、「該当ありません」と回答した後に、その該当事例が見つかったとき、「事例があるじゃないか!(慰謝料よこせ!損害賠償しろ!)etc.」と糾弾される虞があるため、「把握していない」とすることが合格回答です。


要は、「把握していない」とは「今の状況、情報を知っている限り、確認はとれていない」という意味なので、後日、該当事例が判明したとしても、「当時の状況、情報では確認していないだけで、その存在自体がないとは言っていない」と責任逃れをすることができます。


ず垢兄戮┐覆ぁ覆気靴弔えない)

法令の運用を所管する部署「法令所管課」は、その解釈について、他部署から見解を求められることが時折あります。例えば、他部署から「〜のように考えるが、いかがか?」という照会を求められたとき、


「あちゃーこれは無理な解釈だな〜。現行法令上、対応できないケースだよな〜。けど、無理につっぱねて回答しても、そのつっぱねた責任取らされたくないし、疑義はあるけど、まあいいんじゃない?くらいにしとくか。


という場合に、後日、問題が発生したときに、「全部納得してたわけじゃないんですよ」と主張し、責任逃れをすることができます。


以上、代表的な4点の言葉を挙げさせていただきましたが、このようなことを日々日常繰り返している「役所は言葉がすべて」であるといって過言ではないと考えます。


もちろん、冒頭の発言をした模様である枝野官房長官や他の役所「等」では、言葉をどのように「検討している」かは「把握していません」が、上記のように解して「差し支えない」と考えます(笑)。



ではあなたの幸を多からんことを。




国難を憂う
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要旨:

現在、日本国が直面している事態を「国難」と言わないで、一体いつを「国難」というのか自分にはわかりません。


洋の東西を問わず、国難といえば、多くの場合、他国からの対外的侵略を指すことが多かったように考えます。例えば1274年、1281年の「元寇」は、当時の「鎌倉幕府」としてだけではなく、「日本国」としての国難だったと言えると考えます。


しかし、日本の国土防衛力は非常に優れているので、現代の日本国が他国から侵略されるといったことは現実的には考えにくいし、そういった局面に直面することはまずないでしょう。


その意味では、日本国で直面する「国難」とは対内的な事象に限られると考えます。その事象の中で、「平成23年3月11日」は歴史的な国難を迎えた日と言えます。


今回の「国難」は、始まったばかりであり、今後この国難を乗り越えるにあたっては極めて長い時間をと多大な労力を要することと思いますが、乗り越えるにあたっての最大の功労者は「マスコミ」であると考えます


まず、基本的には、自分はマスコミに対し良い感情を抱いていません。自分が公務員になってから、いわゆるマスコミと呼ばれる方から電話等で取材を受けたことがあります。その中で、諸般の事情で情報を即座に開示できないとき、その旨を理由とともに伝えると「取材拒否として報道をするがいいか!!」なとど、半ば脅迫されたこともあります。


また、1995年に発生した「阪神・淡路大震災」では、マスコミの取材のヘリコプターの音がうるさくて、瓦礫の中にいる被災者を見つけられなかったり、家族等を亡くした人に対して「家族を亡くした今の感情を教えてください」等の取材を行ったこともあったりしたようであり、かかる行為は万死に値すると考えます。実際、巨大掲示板2ちゃんねるでは、かかる行為を行うマスコミを「マス【ゴ】ミ」と評することもあります。


しかし、そういった側面がある一方で、マスコミが現代社会で持つ役割を見たとき、今回の国難を鑑みると、その功績は多大だとも思います。


いかに文明が高度化したとて、人間の身体はひとつですから、一度に複数の体験をすることは不可能です。そのため、ある人が情報や体験を得たいと思ったとき、他の誰かの保有している情報を聞くしかありません。そのとき、圧倒的大半の情報提供者はマスコミです。


無論、マスコミが「真実」をすべて伝えていると到底は言えないでしょう。マスコミが発する情報とて、所詮、表現行為に裏づけされた「事実」ですから、その「真実」と「事実」の乖離は想定して然るべきです。


また、マスコミの発する情報は、基本的には「数字になる(=お金になる)」ことを提供するものなので、「数字になれば何でも良い」という姿勢を生んでいる面が多分にあると考えます。


さて、今回の国難の発生において。、自分が非常に驚いたことにひとつに、世界各国からの支援表明や、著名人からの支援表明が多いことが挙げられます。例えば、前者は既に120ヶ国近く(世界国数は約190ヶ国)のに至っていると聞いています。


当然、それらの国々や、著名人らは直接「国難」を経験しているわけではないでしょう。そのほとんどがマスコミの発する情報を見て、感じ、判断して、支援表明をしているわけです。逆に言えば、マスコミが「国難」の情報を発しなければその支援表明の数はもっと少ないに違いありません。


自分が中学生のとき、「同情するなら金をくれ!」というセリフが有名なあるドラマがありました。それから10年以上も経っても、そのセリフは「心理」かつ「真理」であると疑う余地はありません。


今回のような国難において、危険を顧みず人命救助活動等という直接実務的な行為も、大変貴重なことであることは言うまでもありません。

しかし、その一方で、直接務的な行為を伴わない「同情よりも金を出す」という支援は、被災された方の復興の大きな助けになることは間違いありません資本主義社会である以上、国難を乗り超えるためには、お金も必要なのは当然だからです。


無論、場合によっては、資金援等助をした国にとって、日本に恩を売ることで将来の国益(外交や貿易)を見越しての表明かもしれませんし、著名人にとってイメージアップを図る意図もあるのかもしれません。しかし、仮にかかる意図があったとしても、それらの支援は現実的には被災者にとって大きな助けになることは間違いのない「真実」であると考えます。


世界の大富豪である「ビル・ゲイツ」「ウォーレン・バフェット」は、慈善家としても有名だと思います。両人の慈善活動に対し、「偽善者だ」「税金対策だ」等の誹謗等もあるようです。しかし、仮に、そのような意図があったとしても、その慈善活動によって、人が1人でも救われているのであれば、それは何事にも変えがたい素晴らしいことでしょう。


今回の国難に対し、マスコミが絶えまなく情報を収集し、その情報を世界に提供することで、世界の多くの人々の関心を掘り起こし、国難を乗り越えるための援助等の助力にを呼び起こすことは、政府、ましては公務員ごときには絶対に不可能なことです。その意味では、マスコミの功績は桁違いに偉大であると断言できます。


最後に、自分がマスコミの発する事実を見て、「日本国民は美しい」と思ったことの一つに、これほどの国難であるにもかかわらず、被災地では略奪等の暴力行為が行われておらず、配給を受けるときもきちんと列に並んで整然としている(らしい)ことです。世界的に見れば、今回のような国難時に、略奪等の暴力行為が行われることはごく一般的なことの模様です。


何代前だかわからないし、調べるほどの興味もないある内閣が標榜した「美しい国、日本」が皮肉ながら今回の国難で十分すぎるほど世界に示していると考えます。




では被災を受けた日本国民の幸を多からんことを。



本庁と出先
公開:
要旨:

自分の勤務している自治体では最近、当該自治体における「職務計画」という、職員として今後どんな風に仕事をしてきたいのかを作ることが推奨されています。


ただ、「職務計画」と聞こえは良いですが、実際は「本庁の配属でいたいのかor出先の配属でいたいのか」を決めることになります。この本庁と出先とは、公務員として仕事をする上でかなり重要(下手すると人生が変わるほど)な要素であるといえます。


2009年4月に自分は本庁配属になったわけですが、それまでは新規採用から出先の配属でした。本庁と出先の関係は、民間企業でいうところの本社と支社・営業所の関係に比するものといって差し支えないと思います。


出先から本庁に来たときには、周りの同僚から、

○「SIN君は出先でしかも滞納整理をやってたんだね、それは嫌だったろうね〜。」

○「本庁のほうが仕事やりがいがあるから来れてよかったね〜。」

等の発言をいただきましたが、本庁に来れてよかったと思ったことはいまだに一瞬もありません。


自分としては、本庁と出先との差は単なる役割が違うだけで、どちらも重要であり、その優劣はないと解しています。しかし、「出先より本庁のほうがすごい、えらい」などと感じている人は自分の働く自治体でもかなりいるようです。


しかし、自分の経験則の限りでは、

1 時間的融通の良さ 出先>本庁

2 給料の良さ 出先>本庁

3 仕事のやりやすさ 出先>本庁

と断言できます。


1 時間的融通の良さ 出先>本庁

自分が新規採用されてから前の部署(出先)にいたとき、月の勤務のうち(便宜上20日間とする)、20日のうち16日は18時に家に帰って着替えも済ませられるほど定時で帰れるのが当然の毎日でした。残りの4日は、夜間しか滞納者と連絡がつかない場合もあるため、月に4日間ほど残業する日であり、その日はあらかじめ決まっていました。そのため、スケジュールの管理は極めて楽であり時間的融通さは極めて良かったです。


一方で、現在の部署(本庁)にきてからは2010年3月 ブラック官公庁に勤めてるかもだが、まだ俺は限界ではないかもしれない に記載のとおり、残業するのが当然(残業したくはないが、残業しないで仕事を終わらせることは事実上不可能)で、2009年12月29日〜2010年1月3日間は全て出勤し、新年は職場で迎えたほどでした。


2 給料の良さ 出先>本庁

公務員の給料は法令等で厳格に決まっており、自分の勤務する自治体では概ね年功序列で給料が上がっていく仕組みになっています。しかし、新規採用から10年ぐらいはいわゆる逓増状態で、若い人ほど安くこき使われる仕組みになっています。本給が同じだとすると、給料の差は残業代の支給の多寡によって決まると思います。

自分がいた前の部署(出先)では、残業代は満額支給されるだけではなく、滞納整理という特殊性に着目しているためか、特殊勤務手当をいただいていました。


一方で、今いる部署(本庁)では、何時間残業しても15時間/月(2009年度)しか残業代がつきません(2010年度は12時間/月)。今までの公務員生活で2009年12月が最も残業が多く、150時間残業したのに15時間しか残業がつかなかったということもあります。


こんなに扱いに差があるため、自分の場合、入庁2年目の給料よりも入庁5年目(現在)のほうが給料が安いというのが実情です。


3 仕事のやりやすさ 出先>本庁

自分が前の部署(出先)にいたとき、本庁の仕事は法規に従って粛々と行なわれ、感情論を用いることなく、いわゆる「できるやつらの集まり」だと思っていました。


しかし、実際に本庁で仕事をすると議員のむちゃくちゃな要求に応えなくてはならなかったり、幹部クラスの保身や責任逃れをありありと見たり、法規等のルールを無視して、感情論だけで仕事をしようとする輩がいかに多いかを思い知ることになりました。


少なくとも自分の勤務していた出先では、法規を無視して仕事をすることはなかったし、上席者も法規を遵守することを常とし、感情論で仕事をすることなく、むちゃくちゃな仕事振りを見ることはありませんでした(ただし、分限処分をされて然るべきと思われる職員はたくさんいた)。


以上、3点に鑑みると、本庁のほうが良いと思うべき理由は自分は何もありません。同僚等の中には「世の中お金じゃない」「やりがいのある仕事ができることが一番重要だ」とや「定時で帰るやつは怠けもののクズだ」等を言う人はたくさんおり、本庁に配属されていること自体にかなりプライドを持っている人も多々います。そういう人は冒頭の職務計画を作ることは嬉々としているでしょう。しかし、自分にとっては苦痛以外の何ものでもありません。


2010年12月 退却か転進か で記載したように、自分の同期が自殺してからは「滅私奉公」なんて精神はかけらも思えなくなっているので、どうやってモチベーションを保つべきか苦心している今日この頃です(苦笑)。



ではあなたの幸を多からんことを。



退却か転進か
公開:
要旨:

自分は基本的にものぐさかつ飽きっぽいので、継続的に行っていることはほとんどありません。しかも、その性質を「見極めがよい」と勝手に肯定的に捉えているところすらあります(笑)。

そんな自分が毎年一回やっていることの一つに大学時代の仲が良かったメンバーだけでの飲み会があり今年は、つい一昨日開催されました。

今回は6人でしたが、その6人とは10年前の大学時代から全員知り合いです。抽象的な表現ですが、自分を含めその6人はどちらかといえば、「大学時代を心おきなく満喫した!」という人でがなく、端的な言葉で言えば「その他大勢」という位置づけにあり、目立つタイプではなかった人たちです。

少なくとも自分は、大学時代、ゼミやサークルに一切入ってなかったし、大学もほとんど通っていなかったので、大学生活を謳歌したとは口がさけても言えません。卒業式はそもそも出なかったし、卒業書証も卒業式の2週間後ぐらいに大学の教務課(学生の手続き関係を扱う部署)に取りに行ったのみです。もっとも、当該卒業証書は速攻でゴミ箱に棄てましたが。

ともあれ、その5人とはこれからも生きている限り仲良くしていきたいと考えている人たちなので、大学生活にかけがえないものを得られたと強く実感しています。

さて、自分も含めて6人中、不思議と言えば不思議ですが、6人中4人が公務員になっています。公務員になった年度はおのおの違いますが、4人とも公務員として日々働いているところです。しかしながら、同じ公務員でも現在の状況・境遇は著しく異なります。

まず、公務員になった以上、宿命なのですが、どんなに好きな仕事でもおおむね3年(自分の勤めている役所の場合)で異動となります。逆に、どんなに嫌な部署でも概ね3年で異動できることとなります。それがため、異動というのはメリット・デメリットの双方があるといえるでしょう。

今回の集まったメンバーの4人の公務員のうち、自分ともう一人の国家公務員は比較的、現在の仕事内容、人間関係等に満足をしているように感じました。一方で、残りの2人はとても現在の状況が大変に感じました。ただ、2人の大変さは性質が異なります。

便宜上、A君、B君とします。
A君の辛さはひとえに「人間関係」につきます。A君の部署では何から何までだめだしが行われ、仕事が間違ったり、遅れていたりすると、激しく罵倒&叱責をされるようです。当然、そのようなことが続くと、日々の仕事が萎縮するようになり、萎縮が緊張を呼び、ひいてはミスを誘発するようになり悪循環になります。

B君の辛さは「仕事自体」にあります。B君の仕事は住民と非常に近く、言葉は悪いですが、普通に生活していてはまず出会えない(出会いたくない)方々と日々会わなくてはありません。その方々の担当になれば、その方々が不慮の自体があれば土日だろうが出勤しなくてはなりません。そのストレスは尋常ではないでしょう。

A君もB君も「仕事が辛い」というのは変わりはないでしょう。しかし、各々の態様とは異なります。しかも、両者の辛さは実務上、払拭することが困難です。当然ですが、現在の状況を打開するのは、
仝什澆両況を壊す
現在の状況から逃げる
8什澆両況にじっと耐える、

の3つしかありません。無論、やりたいのは,任垢、実際問題はしか取りえないことが多いでしょうし、公務員の性質上、,鮗茲襪海箸鷲垈椎修任靴腓Α

無論、こんな自分だって来年の今頃笑っているかはわかりません。少なくとも、自分は去年の今頃の時間は職場に出勤していましたし、12月29日から1月3日まで全部出勤して仕事をしていました。A君、B君ひいては弊ブログをご覧いただいている方も含め、「辛い仕事」に異動したとしても、決して無理をしてほしくないと考えます。

今年、自分の同期の29歳が自殺しました。そこまで親しくなかったので、詳細は不明ですが、やはり仕事の負荷がありすぎて、一生懸命がんばってやってきたものの、かかえきれない仕事をまかされて、かといって、「辛い」とは一言も周りに言えず、ある朝自殺したようです。少なくとも、自分が勤めている役所は毎年自殺者が何人も出ているので、自殺者が出ることは特段珍しいことではありません(もはや感覚が麻痺しているのかもしれませんが)。

余人はどうあれ、自分は「滅私奉公」という精神はもはや時代錯誤の忌まわしい遺物と言っていいと考えます。組織は人一人失っても痛くもかゆくもありません。逆に、痛かったり痒かったりする組織はもはや発展性のある組織ではないでしょう。

自分は組織に盲従的に尽くすことは美徳だとはかけらも思いませんし、あくまで対等の関係であってしかるべきだと考えます。株式会社の場合、会社は株主のものだというのが法律的な位置づけです。しかし、実体は会社は「従業員のため」および、その従業員の家族を支える道具であることは間違いないでしょう。

従業員に「やさしくできない組織」は21世紀は消えていいと思いますし、消えさえってほしいと切に願います。辛ければ逃げる、第二次世界対戦の日本軍ように、「退却」ではなく「転進」と考えばいいと考えます。

ではあなたの幸を多からんことを。

人治国家と法治国家
公開:
要旨:

「神奈川県、1500人処分へ…不正経理問題

 神奈川県の不正経理問題で、県は18日にも、松沢成文知事ら特別職や職員計1500人について減給や戒告などの処分を発表する方針を固めた。
 県の調査では、業者に架空発注で現金をプールする「預け」などの不正経理は2003〜09
年度、総額16億6239万円に上る。元税務課員4人(1人は自殺。3人は懲戒免職)は02〜06年度に計約1億2089万円を私的流用していた。
 県幹部によると、松沢知事や羽田慎司副知事は、数か月間の減給処分になる見通し。 羽田副知事は、元税務課員が私的流用していた期間中に監督責任がある総務部長などを務めており、当時の税務課長らも減給や戒告の懲戒処分にする。
 私的流用に伴う損害については、懲戒免職になった元職員3人や、自殺した元職員の遺族に請求し、未払いがあった場合は別の関係職員らに返還させる方針。

 このほか、私的流用がなくても不正経理にかかわった職員や上司らの責任を問い、 文書訓告や厳重注意などの処分にする。 」


少し古いですが、ある友人の勤め先の神奈川県に関して、今年の3月に上記のニュースが流れました。上記ニュースに対する巨大掲示板「2ちゃんねる」いわゆる「書き込み」による感想・見解には下記のようなものがありました。


○私的流用で減給のみかあ、そら叩かれるわ公務員

○私的流用してなんで刑事事件にならないんだ

○え?税金を自分の財布に入れても減給や、戒告だけで済むの? バレなきゃ丸儲け、バレても注意されるだけor減給 公務員になって税金を盗むのはローリスクハイリターンなんだなw

○これって 「どんだけ窃盗を繰り返しても、国はあなたの身を保護します。」 って宣言したってことだよな、神奈川はやっぱり素敵だ。

○これだから公務員はやめられない、、ふへへ  1,500人の盗人さんたちに「横領は無事成功おめでとう」を言いたい

○不正経理っていえばやわらかい言い方だけど 要は1500人税金盗んでたんだろ? 検察はなぜ動かないの?


自分がこのニュースの2ちゃんねるを見たとき、滑稽極まりないなと思ったのはこの感想・見解を書き込んだ人の多くが「不正経理=横領」だと捕らえている点にあります。どこをどう誤解・曲解したらそう捕らえるのか全く意味がわかりませんが、少なくとも冒頭のニュースでは、「元税務課員4人(1人は自殺。 3人は懲戒免職)は02〜06年度に計約1億2089万円を私的流用していた。」との記載しかありません。当事者ではないのでよくは知りませんが、このニュースを見る限り、横領を行ったのは4人で、横領額は約1億2089万円」が自然な見解と考えます。無論、横領を行った公務員は、懲戒免職、横領金の満額返還及び刑事責任を問われるのは当然でしょう。


それにもかかわらず、書き込みを行った方の多くが「約1500人全員が横領」と結論づけているようです。おそらく、「公務員=悪いやつら」と予断を持っているがために、一種の思考停止状態に陥っているのではないでしょうか。おそらく、その約1500人は横領ではなく、決められた会計処理というルールを何らかの形で逸脱してしまったのではないかと考えられます。


無論、公務員は憲法を始め諸法令に従う法的義務があるので、それを遵守するのは当然です。しかし、法律を遵守しているにもかかわらず「公務員は頭が固い」や「公務員は杓子定規だ」、「公務員は融通が利かない」等と言われるのはこれもまた滑稽極まりない見解です。


自分も公務員の1人なので、考えに偏向があるかもしれませんが、不正経理と言われる大半の「預け」や「差し替え」、「翌年度納入」は必要悪な感が否めません。


そもそも日本国憲法第86条に「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」と規定されており、役所の会計は原則として1年で締め切られることになります。この会計システムは、自分が役所に入ってから「終わっているな」と思ったことの1つですが、この会計システムがあるがゆえに、役所の予算編成部署大変な苦労をさせられます。


当然ですが、年度始めにその年度の予算編成を行うことは不可能です。なぜなら4月1日から役所は行政サービスを提供しなくてはならないためです。


例えば、4月1日に役所に行って住民票の交付を請求したときに、職員から、

「今、住民票の用紙代に係る予算編成を行っているの途中です。予算編成後、入札を行い、落札業者に用紙の納入発注しますので今は交付できません。3ヵ月後ぐらいにまた来てください。」

と言われたら、多くの人は困るでしょう。


9月に台風等の災害が発生して、水道管が壊れたとします。役所に修理のお願いに行ったとき、

「水道管修理の予算を今年度計上していないので、修理するための予算がありません。他の予算を使うと不正経理になります。来年の予算に計上するので、また来年来てください。」

と言われたら、多くの人は困るでしょう。


3月末に発生した地震のせいで道路に大きな穴ができたとします。道路の修理のお願いに行ったとき、

「今修理をすると、今年度中に予算の執行できず、来年度に執行することになります。それは不正経理になるので、今は修理できません。来年度また来てください」

と言われたら、多くの人は困るでしょう。


結局、現行法上、こういった事例に対応することを考えた場合、住民等の利便に資することを考えたら、「預け」や「差し替え」、「翌年度納入」等の「不正経理」をするしかないわけです。逆に、「不正経理」をしなくて済むようであれば、誰もそんなことをしないし、したくないでしょう。無論、「公務員たるもの法律に従う義務があって、『悪法もまた法』なんだから、それに従え!!」という主張もわからなくもないです。


しかし、法に従うことを主張をする以上、別の分野においても役所が法に従って事務を行うことを否定・批判をするのは滑稽の極みと考えます。


9月に発生した「沖縄県の一部で国際問題という名の言いがかり事件」において、現役の海上自衛官が意図的にそのビデオ映像をインターネット上に流失させたということが最近発覚しました。


海上保安庁職員も国家公務員であるため、国家公務員倫理法の職務上知りえた秘密の漏洩してはならない「守秘義務」の適用があります。同法にいう「何をもって秘密とするか」は専門家等でも議論の分かれるところのようですが、当該ビデオ映像は、少なくとも日本の国防・外交に極めて重要な資料であろうと考えるため、仮に、同法にいう「秘密」に該当しなかったとしても、限りなく「秘密」に近い情報だったと考えます。


ビデオ映像は「知る権利に資するものだ」と一部で言われているようですが、憲法上、知る権利は明文で認められたものではないし、それを正面から認めた判例はありません。また、仮に知る権利があるとしても、それは適法・適性な手続き(例:行政機関の保有する情報の公開に関する法律による情報公開請求等)拠る必要があります。


にもかかわらず、正当な法的権限・理由なく、故意に流失させたのは公務員として法的・道義的に失格であると糾弾されてもしかたがありません。


そのため、海上保安庁や警察、検察等が懲戒処分、刑事処分の法的手続きを進めることは至極当然なわけです。しかし、海上保安庁等には「逮捕しないで」、「犯人探しをやめてくれ」「犯人だったとしても、かばってあげてほしい」等の声が多数寄せられたということですので、同じく公務員である海上保安庁や警察、検察等に対し、「不正を見逃せ」、「融通を利かせろ」と主張していることに他なりません。


冒頭の「神奈川県の不正経理事件」「海上保安庁職員のビデオ流出事件」では後者のほうが、より法益侵害が強いと個人的には考えますが、つまるところ、公務員が起こした事件に対しての矛盾する主張は、

「俺がルールだ!だから俺が良いといったら良いんだ!」

という極めて独善的な思考に他なりません。


日本国は、近くの星マークの国とは異なり「人治国家」ではなく「法治国家」だとかろうじて思うので、一定のルールに従うことが国家の品格、ひいては個人の品格を保つためにも大事だと考えます。



では、あなたの幸の多からんことを。




数字と定義
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要旨:

「東京大学合格率100%!!早慶上智合格率80%!!」


今から約10年ほど前、自分はある大学進学塾でバイトをしていたことがあります。上記の文言は、年度明けにその塾が掲出していたポスターの一部です。


塾にとって一番重要なことは、受験生から「この塾に行けば良い大学に行ける」と評判が立つことでしょう。その意味で、その評判が立つ基礎となる情報というのは塾及び受験生双方に非常に重要であることが言えます。


となると、上記のような数字を付した情報は非常に客観性がある情報と言えるでしょう。例えば、XさんとYさんという、二人の男性がいて身長を比べたとき、「XさんはYさんより背が高い」と表現するよりも「Xさんは175cm、Yさんは170cmなので、XさんはYさんより背が高い」と表現したほうが遥かに客観性があることになります。


しかし、自分は上記塾のバイトをしていたとき、ふと疑問を持ちました。それは、



「この『合格率』って何だ?定義は?



ということです。当然なのですが、数字を用いて有効なのは、定義づけが明確になされている場合です。


例えば、弊ブログの2010年7月 客観性のススメ で述べさせていただいた「民間平均年収と公務員平均年収」ですが、その記事を記載するにあたり、参照したあるサイトを拝読する限り、民間の定義や公務員の定義の明確な記載は見当たりません。また、そのサイトにいう「民間」とは「パート、アルバイトを含みます」と記載(ごく小さな記載ですが)されているため、比較するデータとしては、極めてあいまいなものといわざるをえません(=比較する物差しにならない)。つまり、いくら数字化されていたとしても、定義が明確にされていない情報は無価値であると言えます。


その見地から、当時の自分は、冒頭の文言も下記のように考えました。


合格率って合格者÷受験者か?となると1人受験して、その人が合格すれば100%になるな。」

「大学受験のように、複数校受験することが想定されている場合、人数のカウントは重複している可能性があるな。」


実際に調べてみたところ、下記のとおりでした。

・東京大学受験者 2名 A、Bさん・・・・・・・・・・・・

・東京大学合格者 2名 A、Bさん・・・・・・・・・・・・◆   ´◆爿 100=100%


・早慶上智受験者 5名 A、B、C、D、Eさん・・・

・早慶上智合格者 4名 A、B、C、Dさん・・・・・・ぁ    ぁ爿×100=80%


自分は「受験生が判断するにしては、不適切な情報の提供だな」と考えましたが、自分にとってアルバイトをやる意味は、お金を稼ぐことしか頭になかったので、当時のその塾の正社員である上司にも、時間の無駄だと思い何も言いませんでした。おそらく指摘していたとしも、「嘘をついているわけじゃないんだから、問題ないだろうが!」とキレられていたことでしょう。


当時は、こういった手法を行うのは一部の人(組織)かと考えてましたが、その手法を用いる人(組織)は実に多く、とりわけマスコミ業界は最大の利用者である考えます。尤も、マスコミ業界は情報操作を通じて、一定の思想に偏向させようという意図を持っていると思われるので、客観性など始めから期待できないし、期待してはならないのかもしれません。ちなみに、自分がテレビや新聞をほとんど見ない・読まないのは、そういった情報操作を受け、思想の偏向を防止したいという意図もあります。


こういう手法があることを認識しないと、マスコミ業界が引き起こす情報洪水を真に受けることになります。以前、税の徴収の現場にいたとき



「公務員は多すぎるぞ!」、

「公務員は犯罪ばっかおこしやがって!」、

「公務員は給料もらいすぎだ!」、

「他にも税金払っていないやつはたくさんいるだろうが!」



等の荒唐無稽な批判に対しても、



「諸外国との公務員人数の比較(日本の公務員数は諸外国に比べ少ない)」、

「犯罪白書等の主要白書(公務員の犯罪率は極めて少ない)」、

「国税庁のデータ(納期限内に払う納税者が大半)」、



等を見ればいかに根拠がないかがよくわかります。まあ、自己矛盾(=主張が誤りだったと気づく)を起こしたくないので、見る気がない人も多いとは思われますがね。



正直、子供ならまだしも、大の大人が明確な数字に基づかないにも関わらず、苦情・批判を行うのは、滑稽です。子供にありがちな、



「ねえ〜ママー、みんな持っているからこれ買ってよー!」



と非論理的な駄々をこねているようです。これとて、「みんな」の定義が示されていない上、「みんな持っている=自分ももつべきだ」、ということに論理的必然性はありません。



ある好きな漫画の1場面にあったように、「分母を隠すのは都合の悪い証拠」とは至言だと考えます。上記の



「公務員は犯罪ばっかおこしやがって!」の例で言えば、「総犯罪者数(分母)で、公務員の犯罪者(分子)の割合がどのくらいなのか」を数字で検証しなければお話になりません。



しかし、少なくともマスコミ業界の発する情報で、分母が示されているデータを見たことはありません。



結局、マスコミ業界は「公務員=悪いやつ」という思想に導きたいがために偏った情報(もちろん、多くの場合「うそ」を言っているわけではない)を提供しているのでしょう。「公務員=悪いやつ」という思想を多くの人々に植え付けないと、「数字」が取れませんからね。



では、あなたの幸の多からんことを。

外敵と内敵
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2007年9月の弊ブログの記事国破れて山河あり でも述べているとおり、自分は歴史関係を学ぶのが大変好きです。自分はほとんどテレビを見ないので、主にネットでニュース情報を取得するのですが、「曹操の墓発見か!?」や「邪馬台国の場所ついに解明か!?」という小見出しが出ると、真っ先にクリックするほどです。


歴史が好きなことに対し、「過去のことを振り返っても?無駄じゃん?未来を見ようよ!」とう言う人も周囲に大勢いました(特に女性で多かった)が、歴史を勉強すると、現代社会における国の経済や外交、国防等と密接に結びついていることがわかります。


最近、「沖縄県の一部」で国際問題という名の言いがかり事件が発生しているようですが、あれとて歴史を勉強すると、主張の妥当性について容易にわかるようかと思います。一言で言えば、ある土地で、宝を発見する前は土地の所有に関し、なんら異論を発してなかったにもかかわらず、宝が発見されるやいなや「その土地は俺の土地だ!!だからその宝も俺のものだ!!」というジャイアンも真っ青な独善的思考だということがわかるようになります。


さて、歴史を勉強すると、洋の東西を問わず、多く見られることが1つあります。それは、「国は外敵よりも内敵によって滅ばされる」という現象です。外敵に対してはむしろ、国は一丸となって戦うことが多いと言えるでしょう(鎌倉時代の「元寇」等)。一方、内敵に対しては、国は極めて深刻なダメージを受け、かつ脆弱であることが多いと考えます。


おそらく、この現象は、21世紀を迎えた今でも普遍性があるものだと考えます。また、これは、国家に限らず多くの会社等の組織でも該当するものだと考えます。この現象は、自分が公務員になってからも、行政組織にとっても該当する現象だと強く確信しています。


その確信をする一例として、下記のような事例がありました。


3ヶ月ほど前、自分の所属する課(以下、「A」という。)に対し、ある課(以下、「B」という。)から、Bの実施する事業(以下、「X」という。)について、情報提供がありました。そのXは、Aで所管する法令(以下、Yという)に違反する可能性が極めて高いものでした。


法令には必ず、所管課という、法令の解釈や運用等を担当する課があります。そして、所管課の解釈は、他のどの課よりも優先されますし、通常、他の課もその所管課の解釈には従います。


ところが、これに対し、AB双方で主張の食い違いが発生しました。双方の主張は下記のとおりです。


【Bの主張】

○Xに対するYの解釈は間違っている。XがY違反になる理由が全くわからない。

○Xは首長から「検討しろ」といわれている事業なのに、なぜ協力をしないのか。

○XがYに違反していないという解釈をしてもらわないと関係自治体に説明できない。


【Aの主張】

○間違っているとは言われようとも、Yの所管課はAである。

○首長の「検討しろ」とは、できる・できないも含めて「検討しろ」ということである。同じ組織で働く以上、協力はしたいが、法令違反になる可能性が高いものまでは協力できない。

○Aは、Bと同種の事業に対して、従前より「違反する」という説明をしている。

○XはY違反になる可能性が高いが、仮にAが「違反していない」と解釈した場合、後日問題が発生した場合はどう説明するのか。


以上のように主張したにもかかわらず、Bは「なぜだめなんだ、おかしい。」を繰り返すばかりで、まるで駄々っ子のようです。こうなってくると、もはや論理が通じる世界ではありませんので、課を超えた上位者であるCに情報を伝えたところ、「Bの事業に支障がないようにできないかを『検討しろ』」という有様です。念のため、補足すると、この「検討しろ」とは、法令違反を認めろとは立場上言えないので、幹部クラスが自身を守るための常套文言です。

結局、BはAの上記の主張を聞かず、当該事業を実施することにしましたが、仮に後日問題が発生した場合は、


【Bの主張】

○AがXに違反していないとの解釈を聞いてから事業を実施したので、問題はないと思った。


【Cの主張】

○「検討しろ」とは言ったが、法令違反を認めろとは言っていない。


と言うことが確実です。BもCも、第一義的には、自分(達)を守りたい気持ちが一番なのです(人間である以上、否定はしませんが)。となると、当然、責任を取らされるのはAであること言うまでもありません。このようなBとCといった内敵は、残念ながら排除し、根絶することが原理的には不可能なのでとても厄介で、後々には大きな災いになることが少なくないと思います。

無論、このような事態は、程度の差こそあれ、どこの組織でも起こっている(起こりうる)のでしょう。しかし、個人的には、BもCも最悪に属する内敵だと考えますし、公務員として、法令を遵守しなければ国民や住民の方に「法令を守れ!」とは言ってはならないでしょう。そのような矛盾した姿勢は、さながら、核を山ほど持っているのに、核の開発に対し目くじら立てて怒りだすアメリカのようです。

 


ではあなたの幸の多からんことを。



公務員試験関連
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